平成16年2月     櫻井 文次郎

  それはもう殆ど半世紀前の事になる。昭和32年1月11日(1.957年)常磐炭砿磐城鉱業所より5名茨城鉱業所より2名、数ある候補者の中から選りすぐりの7名は,また全国から同様の手段で選抜された59名の同志と共に、羽田空港から南回り空路(当時は未だ北極経由航路は開設されていなかった)により勇躍西ドイツ、ジユッセルドルフ空港へと特別機で出発した。落ち着き先はル-ル地方ズイスブルヒ在フリ-ドリッヒ.チッセン炭鉱であった。

 これより先昭和30年頃有識者の間で“日本の炭鉱から優秀な若者を炭鉱技術、炭鉱鉱内外合理化の最も優れている、そして労働力不足の西独の炭鉱へ派遣してはどうか。”との問題提起があった。
 その依って来たる背景があった。
 この時期、敗戦後12年、国内状況はあらゆる分野で戦争による壊滅的打撃を受け再起出来るか否かの凄まじい状況であった。国の基幹産業石炭、鉄鋼を始めあらゆる分野の努力の結果国内は一応の戦後復興を成遂げた。石炭産業は戦時中の無理を重ねながらの採掘による荒れ尽くされた坑内条件を整備しながら基本坑内構造完成に努力しつつ増産を続けその主役の役割を果たしてきた。
 一方これを取り巻く外的条件は朝鮮動乱(昭和25年勃発同27年の休戦)、スエズ動乱(昭和31年)また中東からの競合燃料石油の輸入による需給増強等石炭産業にとってある時は追い風のなか、総体的には厳しく強い向かい風の中で地位そのものが問われ始める時代に変わりつつあった。国内全炭鉱は輸入オイルに対抗する為コスト削減、坑内外、人材を含む全体的合理化を要求され始めた。
 一方戦後の民主化運動の一翼を担った活性化された労働運動による、或いは合理化による、対抗対策の為のストライキ多発、等エネルギ-の安定供給面でもとかくの批判を浴びた石炭産業は石炭より安価な輸入オイルの利用による繁栄日本の基礎固めを始めた時期でもあった。日本の復興は石炭、発展は石油の構図だ。
 此の様な環境の中、常磐炭鉱も昭和30.31年1000名を夫々第一第二次として帰休制を実施した。この時期西独の状況は日本と同様基幹産業石炭、鉄鋼生産に特別注力、その復興は当時日本以上の勢いがあった。更に労使関係も良好な状況で推移していた。石炭採掘技術、労働運動、等西独炭鉱からは学ぶべき事柄は非常に多かった。現に大手炭鉱においては竪坑設備、採炭機械、等西独から輸入着々とその成果を挙げ始めていた。西独派遣構想が登場したのにはこような背景があった。
 この問題提起を起点に議論が展開され両国労働省は昭和31年11月当時の西ドイツ首都ボンにおいて日本大使館とドイツ連邦共和国との間に双方の口上書が締結された。以下公文書であるので省略させて頂くが大略以下のような事柄が決定された。

 1)日本から3年以上炭鉱労働の経験を有する21-30才の日本人独身従業員500名の範囲で3年間ル-ル 炭鉱に派遣する
2)入国、滞在、労働 許可条項
3)帰国後の各種権利に関する件
4)在ドイツ期間の年金保険の件
5)労働条件の同等の件
6)生命、財産、の保護、司法上の権利と保護の件
等詳細に締結された。
 更に日本側の含みとしてこの他に
7)この事業の目的は派遣員の炭鉱技術を習得、職業上の技術を完成し知識を博める。
8)西欧の労働事情を体験せしむる。
9)西独労働力の不足緩和に寄与。
((79)については口上書に記載はないが当時国内で考えられていた。)

 この取り決めにより以下の表のとうり昭和32年から昭和37年まで436名の人材が派遣された。

                           西独派遣状況(全国)

実施 一次派遣         二次派遣 合計
第一陣 第二陣 第三陣 第四陣 小計 第五陣  
出発年月 32,1 33,1~3 35,10 36,11   37,3  
派遣(人) 59(7) 180(25) 60(0) 67(0) 366(32) 70(0) 436(32)
帰国年月 35,1 36,1~3 38,10 39,11   40,3  
帰国(人) 54 165 53 64 336 63 399
死亡(人) 1 3 1 0 5 0 5
残留(人) 4 12 6 3 25 7 32
・現地結婚 4 8 6 1 19 5 24
・独身 0 4 0 2 6 2 8

   註.1 死亡は業務上災害による、現地結婚はドイツ婦人と結婚,   註2 ( )内は常磐出身

 この様な状況の中常磐炭砿磐城、2茨城砿業所より第一陣に引き継いで第二陣、25名合計32名が昭和32年より昭和33年まで派遣された。帰国は昭和年36迄に31名帰国1名現地残留となった。

  第四、五陣については、常磐炭砿としては諸種の事情から派遣を中止した。

                               派遣先炭鉱(常磐炭砿)

炭鉱名 派遣 残留 帰国 所在
ハンボルナー鉱業 23 1 22 ドウイスブルヒ
クレックナー鉱業 9 0 9 カストロップ、ラオクセル 
     計 32 1 31  

註 残留はドイツ婦人と結婚

 派遣5年間に世話役として、3名の主席連絡員、と23名の連絡員が派遣された。(未完)

2004,3,10