「いわき市史・別巻 常磐炭田史」より
昭和43年 | 1968 | 2・ | 石炭鉱業審議会会長、石炭鉱業の最終安定策として原重油税10%を充当するなどの試案提示 |
3・16 | 社会党、石炭鉱業国有法案を国会に提出 | ||
6・10 | 大気汚染防止法公布 | ||
7・ | 石炭鉱害事業団発足。九州・中国・東海・常磐の4地区の鉱害復旧事業団を解散 | ||
12・16 | 炭労、石炭鉱業審議会の第四次答申の無いように抗議し、45山で233名が坑内座り込み | ||
12・25 | 石炭鉱業審議会、約850億円の再建交付金の交付・特別閉山交付金の創設などの石炭対策を答申(第四次答申) | ||
この年 | 大日本炭砿磯原砿(前年終掘)・新多賀(同)・磐崎(同)・矢ノ倉岩崎炭鉱閉山 | ||
昭和44年 | 1969 | 1・8 | 炭労、政府に炭鉱国有化要求で、炭鉱夫の退職届3万898通を手渡し総下山の決意を表明 |
1・9 | 東部保安センター開所 | ||
1・10 | 閣議、第四次答申を受け石炭対策について決定 | ||
1・13 | 炭労、石炭対策の閣議決定に抗議し大手24時間ストライキ | ||
2・26 | 炭労、石炭対策に反対して、組合員2000名が通産省に座り込み | ||
3・1 | 炭労、廃山に反対し、国有化を求め52山で24時間ストライキ | ||
4・ | 常磐炭砿、砿員習技所を平工業高校委託政生制度に替える | ||
6・ | 勿来工業団地完成 | ||
6・ | 大心苑、営業開始 | ||
この年 | 常磐炭砿、生産性向上をはかり多能工制度を導入 | ||
この年 | 湯本・関本・友部(前年終掘)炭鉱閉山 | ||
この年 | 石炭対策の実施により、全国で炭鉱の閉山続出(なだれ閉山) | ||
昭和45年 | 1970 | 1・14 | 常磐炭砿、磐城砿業所の労使運営協議会で、石炭専業部門の分離・独立を検討中であると言明 |
5・9 | 常磐炭砿、労働組合にたいし、新会社(石炭部門)の分離・独立を正式提案 | ||
5・25 | 常磐炭砿労使、新会社分離の同意書に調印し通産省に提出。新常磐炭砿株式会社設立 | ||
7・1 | 常磐炭砿、常磐湯本温泉観光㈱を合併し、商号を常磐興産に変更 | ||
7・1 | 新常磐炭砿、常磐興産より石炭生産部門の譲渡をうけ、商号を常磐炭砿に変更 | ||
10・ | 常磐共同火力発電所で7号発電機(石炭専焼)が完成 | ||
11・20 | 石炭鉱業審議会、石炭鉱業の体制に関する当面の諸策に就いて中間答申 | ||
12・25 | 水質汚濁防止法公布 | ||
この年 | オール常磐、都市対抗野球全国大会に出場。応援の常磐ハワイアンセンターダンシングチームに応援団賞 | ||
この年 | 好間(前年終掘)・重内(同)炭鉱閉山 | ||
この年 | 石炭の輸入依存度、55.5%になる | ||
昭和46年 | 1971 | 1・24 | 常磐炭砿、磐城砿業所の閉山を労働組合に提案 |
2・21 | 常磐炭砿労組、閉山に伴う要求貫徹総決起集会を開催。浅貝球場に7,500名集まる | ||
2・22 | 通産省の閉山調査団が常磐炭砿を調査 | ||
2・23 | 常磐炭砿労使間の団体交渉再開 | ||
3・10 | 常磐炭砿、常磐西部炭砿株式会社を設立。資本金2,000万円 | ||
3・11 | 常磐炭砿労使間の団体交渉決裂 | ||
3・12 | 常磐炭砿労組、閉山条件要求で48時間ストライキ突入 | ||
3・18 | 常磐炭砿労使間で仮協定成立。ストライキ中止 | ||
3・26 | 東北電力、福島原子力発電所の運転を開始 | ||
4・1 | 常磐炭砿砿茨城砿業所神の山砿、茨城炭砿(茨城砿業所)より施業分離し、神の山炭鉱神の山砿として独立 | ||
4・1 | 常磐炭砿労組、内郷公会堂で臨時大会を開催。閉山に伴う会社との仮協定を確認 | ||
4・4 | 常磐炭砿でかい者・労組・職組の合同による転進対策本部が発足 | ||
4・29 | 常磐炭砿磐城砿業所閉山。職員390名・砿員3,893名・臨時夫443名、合計4,726名解雇 | ||
5・8 | 常磐西部炭砿、創業開始 | ||
6・30 | 常磐炭砿磐城砿業所、坑口閉鎖完了 | ||
7・4 | 常磐炭砿労組、解散大会を開催 | ||
8・14 | 常磐炭砿茨城砿業所中郷砿で坑内大出水事故発生し、水没 | ||
8・27 | 常磐炭砿中郷砿露天堀を同炭鉱から分離し、中郷炭鉱とする | ||
8・30 | 常磐炭砿茨城砿業所中郷砿(坑内堀)閉山 | ||
11・1 | 常磐西部炭砿、常磐炭砿に吸収され、常磐炭砿西部砿業所となる | ||
11・29 | 神の山炭鉱閉山 | ||
この年 | 鹿島工業団地、造成着工 | ||
昭和47年 | 1972 | 3・ | 茨城炭鉱労組・職組解散 |
6・29 | 石炭鉱業審議会、約700億円の第三次肩代りの実施などの石炭対策を答申(第五次答申) | ||
7・4 | 閣議、第五次答申を受け、石炭対策を決定 | ||
9・ | 茨城県北茨城市に中郷町鉱害対策協議会発足 | ||
昭和48年 | 1973 | 5・29 | 常磐炭砿西部砿業所で坑内火災。死者4名 |
7・25 | 政府、通産省外局として資源エネルギー庁を設置 | ||
10・ | 第一次石油危機(オイルショック)始まる | ||
12・7 | 石炭鉱業審議会、エネルギー情勢の激変に伴う石炭対策について(中間報告)を通産大臣に提出 | ||
この年 | 櫛形炭砿閉山 | ||
昭和49年 | 1974 | 3・26 | 閣議、炭鉱離職者緊急就労対策事業の三年間延長を決定 |
7・15 | 『常磐炭田戦後坑夫らの歌』刊行 | ||
7・22 | 石炭鉱業審議会、新しいエネルギー情勢に対応した石炭の長期展望を通産大臣に提出 | ||
7・25 | 総合エネルギー調査会、長期エネルギー政策基本方針を答申 | ||
昭和50年 | 1975 | 4・ | 常磐興産、常磐紙業㈱を吸収合併し紙業部を創設 |
5・ | 常磐炭砿西部砿業所の採炭切羽(七斜坑二号払)で異常出水 | ||
7・16 | 石炭鉱業審議会、石炭対策を答申(第六次答申) | ||
7・ | 常磐炭砿西部砿業所で六〇〇メートル電車坑排水坑道が崩落し出水。62日間の採炭中止命令をうける | ||
12・19 | 総合エネルギー対策閣僚会議、総合エネルギー対策の基本方針を決定 | ||
12・27 | 石油備蓄法公布 | ||
昭和51年 | 1976 | 4・1 | 常磐湯本温泉㈱設立。いわき市・湯本財産区・常磐興産の出資 |
4・8 | 地域振興整備公団常磐市書開所 | ||
6・28 | 常磐炭砿、西部砿業所労組にたいし前面閉山を提示 | ||
7・11 | 常磐炭砿西部砿業所労組、閉山問題で臨時大会を開催 | ||
7・31 | 常磐炭砿西部砿業所労使、閉山協定に調印 | ||
8・31 | 常磐炭砿西部砿業所終掘 | ||
9・27 | 常磐炭砿西部砿業所、常磐湯本温泉㈱の委託により、温水誘導管を温泉坑の誘導管に接続 | ||
9・30 | 常磐炭砿西部砿業所、総撤退完了 | ||
11・ | 常磐湯本温泉㈱、給湯開始 | ||
昭和52年 | 1977 | 3・ | 東部鉱山保安センター閉所 |
3・31 | 総合エネルギー調査会基本問題懇談会、国産資源の活用など提案 | ||
昭和53年 | 1978 | 4・ | 東京鉱山保安監督部平支部廃止 |
昭和54年 | 1979 | 6・15 | 総合エネルギー対策推進閣僚会議、石油消費節減・原子力発電強化・石炭火力開発促進の諸対策を決定 |
6・22 | エネルギー使用合理化法公布 | ||
昭和55年 | 1980 | 10・1 | 新エネルギー総合開発機構設立 |
昭和56年 | 1981 | 8・4 | 石炭鉱業審議会、石炭対策を答申(第七次答申) |
昭和57年 | 1982 | この年 | 常磐炭砿、中郷炭鉱の鉱業廃棄物埋立場と先端廃水沈澱池を新設 |
昭和58年 | 1983 | この年 | 常磐炭砿、中郷炭鉱の減反受入設備と除塵機設備を完成 |
昭和59年 | 1984 | 10・18 | いわき市石炭・化石館開館 |
昭和60年 | 1985 | 3・31 | 常磐炭砿、中郷炭鉱の採炭を廃止。常磐炭田の採炭終る |
9・1 | 常磐興産、常磐炭砿を吸収合併 | ||
平成元年 | 1989 | 8・31 | いわき市史・別巻『常磐炭田史』発行 (2003.3.7 入力完了) |