「いわき市史・別巻 常磐炭田史」より
大正2年 | 1913 | 4・ | 入山採炭でハルデー式削孔機、フロットマン・シンプレックス削岩機を試用。磐城初の機械採炭 |
5・22 | 三星炭砿綴竪坑で大出水し、湯本温泉の湧出量激減。10月に水没区域の東部に新斜坑を開削 | ||
5・ | 湯本村、温泉救済基金と部落有林の管理のため湯本区会(後の湯本財産区)を設立 | ||
6・13 | 鉱山監督署の名称を鉱務署に変更 | ||
6・ | 三星炭砿、藤原鉱区を買収 | ||
10・20 | 東京石炭商組合、築地精養軒で発会式を挙行 | ||
12上旬 | 磐城炭砿、内郷炭砿の町田竪坑・広畑斜坑間に単線電車運転を始め、好成績を得る | ||
この年 | 磐城砿業㈱、平炭砿を買収 | ||
大正3年 | 1914 | 7・28 | 第一次世界大戦起こる |
8・13 | 古賀春一、高萩炭砿・秋山炭砿・清水炭砿を買収し、茨城炭砿㈱を設立 | ||
9・26 | 好間炭砿、隅田川炭砿から鉱区の一部を買収 | ||
9・ | 磐城炭砿、内郷炭砿で内郷第三斜坑の開削に着手。翌年11月に着炭し採炭を開始 | ||
12・30 | 友愛会内郷分会、発会式を挙行 | ||
この年 | 磐城炭砿、小野田炭砿北第一斜坑の蒸気巻上機を電気巻上機に替える | ||
この年 | 茨城無煙炭砿で石岡第二発電所が完成 | ||
大正4年 | 1915 | 1・ | 三星炭砿、藤原炭砿で斜坑の開削に着手。8月に本層に着炭 |
5・23 | 友愛会磐城支部、発会式を挙行 | ||
6・1 | 好間炭砿、古河合名会社へ経営を移譲 | ||
7・10 | 磐越東線の平・小川郷間が開通 | ||
7上旬 | 茨城炭砿、第一坑で新坑の開削に着手。9月末に着炭 | ||
8・ | 磐城炭砿、三星炭砿綴坑・広畑坑を買収 | ||
11・ | 入山採炭、第五坑の開削に着手。7年1月末に着炭 | ||
12・2 | 石炭坑爆発取締規則公布 | ||
大正5年 | 1916 | 4・ | 友愛会磐城連合会結成 |
6・ | 磐城炭砿、内郷炭砿で磐城初の1,000キロワットラトー式スチームタービンの運転を開始 | ||
8・ | 鉱夫労役扶助規則制定 | ||
9・12 | 清田炭砿㈱、茨城炭砿㈱と共同出資にて千代田炭砿㈱を組織。10月に第二斜坑の開削に着手 | ||
9・ | 山下亀三郎、数江三左衛門鉱区の一部を買収、12月に福島炭砿㈱を設立。翌年3月採掘に着手 | ||
10・ | 磐城炭砿、内郷炭砿で綴第一・第二斜坑を開坑 | ||
10・ | 古河好間炭砿、北好間に火力発電所を起工 | ||
12・26 | 古賀春一、山口県宇部に本山炭砿㈱を設立 | ||
この年 | 茨城無煙炭砿、第三坑を開坑 | ||
この年 | 三星炭砿、藤原炭砿に選炭場を開設し、山元・湯本駅間の専用鉄道敷設工事に着手。翌年6月に竣工 | ||
大正6年 | 1917 | 2・25 | 古河好間炭砿、新竪坑の開削に着手。8月に完成 |
3・ | 磐城炭砿、内郷炭砿で高坂斜坑の開削に着手。8年3月に採炭を開始 | ||
4・11 | 八茎銅山で友愛会員11名が回顧され支部が壊滅 | ||
5・18 | 郷誠之助、入山採炭社長を辞任。経営は福川忠平へ移る | ||
7・26 | 本山炭砿㈱、茨城炭砿㈱を吸収合併 | ||
7・ | 内郷炭砿・宮炭砿・磐前炭砿・古河好間炭砿の労働者、賃上げを要求 | ||
8・ | 入山採炭、第六坑の開削に着手するがすぐに休止 | ||
8・ | 小野田炭砿・小田炭砿の労働者、賃上げを要求 | ||
9・27 | 本山炭砿㈱、大日本炭砿㈱に社名を変更 | ||
9・ | 磐城炭砿、内郷炭砿で綴東斜坑の開削に着手。11月1日に着炭 | ||
9・ | 大日本炭砿、三星炭砿の藤原炭砿と窪田炭砿を吸収合併 | ||
9・ | 大日本炭砿、磯原坑で第二坑の開削に着手。山元・磯原駅間に単線軌道を敷設、一部複線工事に着手 | ||
11・ | 入山採炭、第五坑・第六坑の開削用原動力として第五坑火力発電所の建設に着手 | ||
12・ | 磐城炭砿、平町の夏井川畔に火力発電所の建設を申請 | ||
この年 | 大日本炭砿、磐城砿業㈱から平炭砿を買収 | ||
この年 | 華川無煙炭砿設立 | ||
大正7年 | 1918 | 5・ | 小田炭砿、斜坑の開削に着手 |
7上旬 | 福島炭砿の労働者、鉱車逸走で圧死した女鉱夫への補償金を要求して200名が結束。9月下旬に250円を獲得 | ||
8・3 | 米騒動全国に波及 | ||
8・23 | 福島県警察部、磐城・入山・古河好間など主要炭鉱の経営者・幹部社員らを集め、争議対策 | ||
9・21 | 福島炭砿の労働者1,000名、5割値上げほか3項目を要求してストライキ | ||
10・ | 磐城炭砿、湯本から綴に製作所の移転を開始 | ||
11・30 | 大日本炭砿、東海炭砿㈱を合併 | ||
12・ | 大日本炭砿、湯本砿で機械選炭場の建設に着手。翌年12月に竣工 | ||
この年 | 磐城炭砿、内郷炭砿に親和会を設立 | ||
大正8年 | 1919 | 2・ | 古河好間炭砿、隅田川・津川両炭鉱を買収 |
3・6 | 大日本炭砿磯原唐虫坑の労働者、米の値上げに反対し暴動化。死者数名を出し憲兵が出動鎮圧、98名が検挙される | ||
3・25 | 磐城炭砿久ノ浜坑の労働者、賃上げを要求してストライキ。暴動化 | ||
3・ | 茨城採炭㈱、千代田炭砿㈱を吸収合併 | ||
4・27 | 福島炭砿の労働者、賃上げを要求して争議 | ||
4・ | 入山採炭、第六斜坑で新しい試みとしてセメント注入法を実施 | ||
5・ | 大日本炭砿、湯本砿で灑水土砂流送法を開始。火力発電所完成し、10月までに坑内ポンプをうべて電力運転に変更 | ||
6・16 | 磐城炭砿の内郷炭砿綴西第一斜坑下ドラム上四片で、払跡断層により温泉大湧出。秋に湯本温泉の噴湯が止まる | ||
7・16 | 磐城炭砿多喜砿業所の労働者112名、5割賃上げ要求と鉱夫長の横暴への不満でストライキ | ||
8・30 | 友愛会、7周年大会で大日本労働総同盟友愛会と改称 | ||
8下旬 | 磐城炭砿平発電所で内郷・綴・長倉への送電線工事を竣工 | ||
8下旬 | 友愛会多賀連合会結成 | ||
8・ | 伊藤炭砿・福島炭砿の労働者、賃金値上げ・待遇改善を要求してストライキ | ||
9・12 | 入山採炭第五坑の労働者百数十名、観音山公園に集合し賃上げを要求 | ||
9・17 | 磐城炭砿の労働者、山神社に結集、委員25名を選出し要求5か条を会社に提出。 2、000名の大ストライキ | ||
この年 | 入山採炭、入山鉱業補習学校を設立 | ||
この年 | 常磐炭砿主会が組織される | ||
大正9年 | 1920 | 1・6 | 小田炭砿で出炭賞与の廃止から労働者250名が入坑を拒否しストライキ |
2・ | 入山採炭、第五坑の坑外に電気巻上機を増設。同坑鉱夫出入用として安全装置付人車の運転を開始 | ||
3・8 | 古河好間炭砿の労働者、2月2日の坑内爆発犠牲者への措置を不満とし、事故防止策・補償などを要求 | ||
5・18 | 古河好間炭砿、雨水侵入のため採炭減少。500名の鉱夫解雇、不穏 | ||
6・ | 磐城炭砿、内郷炭砿で「鉱夫共済会規約」を施行 | ||
7・23 | 大日本炭砿平砿の労働者400名がストライキ。代表10名が5か条の要求書を提出 | ||
8・1 | 古河好間炭砿、職員100名・鉱夫600名の解雇を発表。平署が警戒 | ||
9・30 | 合名会社大倉組、1人山採炭の経営権を取得 | ||
9・30 | 古河好間炭砿で当地方稀有の豪雨により第三坑が水没。道路・橋梁・鉱夫長屋など甚大な被害を受ける | ||
10・2 | 磐城炭砿で6,000キロワットの平火力発電所がほぼ工事完成し運転を開始 | ||
10・ | 全日本鉱夫総連合会結成 | ||
この年 | 茨城無煙炭砿、大北川上流に水力発電所を建設 | ||
大正10年 | 1921 | 1・ | 常磐石炭鉱業会結成 |
2・18 | 磐城炭砿の倉田専務、欧米炭鉱視察に出発 | ||
7・ | 古河好間炭砿、排気竪坑坑口に鉄筋コンクリート製で高さ100尺の櫓の建設に着手 | ||
7・ | 大日本炭砿、平砿を休山。8月に本山炭砿を休山 | ||
7・ | 茨城無煙炭販売㈱発足。14年6月に解散 | ||
10・11 | 筑豊・北海道・常磐・宇部・粕谷各鉱業会を母体に石炭鉱業連合会が設立。大正15年から『石炭時報』刊行 | ||
12・28 | 古河好間炭砿の支柱夫300名、賃上げと賃金支給方法の変更を要求して暴動。全山に波及 | ||
この年 | 古河好間炭砿、第二斜坑を小田炭砿に譲渡 | ||
この年 | 磐城炭砿、内郷炭砿町田坑でアメリカのサリバン社製コールカッターを採用 | ||
大正11年 | 1922 | 2・16 | 入山採炭で大洪水により川平第二斜坑が浸水。死者3名 |
2・17 | 品川白煉瓦㈱の赤井炭砿、水害により1ヶ月操業を休止 | ||
7・ | 大日本炭砿、臨時株主総会で会社経営を三井鉱山課部に委託することを決定 | ||
9・11 | 入山採炭第五坑の本坑人車巻上坑道でロープ切断事故。死者16名 | ||
9・12 | 福島炭砿の労働者543名、三割賃上げ・9時間労働・賞与・監督者変更を要求してストライキ。妥結 | ||
11・ | 磐城炭砿で出水により内郷炭砿町田坑の広畑区域が水没 | ||
12・ | 入山採炭で川平新斜坑が着炭 | ||
大正12年 | 1923 | 1・ | 磐城炭砿、綴・内郷間の電車運転を開始 |
5・ | 磐城炭砿、内郷炭砿高坂坑南北坑道で前年敷設のレールを7,800尺に延長、13馬力4トン電気機関車2両を運転 | ||
7・17 | 古河好間炭砿の頭取18名、高級社員の排斥を要求 | ||
9・1 | 巻頭大地震起こる | ||
9・ | 大日本炭砿、勿来砿斜坑本卸坑口の185馬力蒸気巻上機を320馬力電気巻上機に変更 | ||
10・ | 茨城無煙炭砿、第二坑の一部で採炭を中止し鉱夫50名を解雇 | ||
11・ | 磐城炭砿、内郷炭砿内郷第三斜坑の機械選炭場が完成し、マーカス式選炭機1台・17馬力蒸気機関1台を設置 | ||
12・ | 古河好間炭砿、元山第一坑の事業を廃止 | ||
この年 | 中小炭鉱、炭況不振・金融梗塞・関東大地震のため鉱夫の解雇、事業の縮小・中止が相つぐ | ||
大正13年 | 1924 | 2・20 | 入山採炭第五坑で二坑道卸ポンプ座から火災。死者13名 |
2・ | 磐城炭砿、内郷炭砿内郷第三斜坑で新設機械選炭機の運転を開始 | ||
5・16 | 広野炭砿の鉱夫、未払賃金を請求。賃金支給で妥結 | ||
8・9 | 入山採炭第五坑南卸でガス爆発。死者75名 | ||
10・3 | 入山採炭、新四坑の開削に着手 | ||
10・19 | 古河好間炭砿竪坑小館中央卸で出水。復旧の見込みなく翌年1月18日に斜坑を開削 | ||
10・29 | 入山採炭、新三坑の開削に着手 | ||
11・18 | 大日本炭砿湯本砿五坑でガス爆発。死者9名・重傷者47名 | ||
12・ | 鉱務署、鉱山監督部と改称(東京・仙台・大阪・福岡・札幌) | ||
この年 | 入山採炭、第五坑の南卸に50馬力上綱式エンドレス巻を設置 | ||
この年 | 大日本炭砿、勿来砿の一部に長壁法を試用。10馬力切羽運搬機1台を新設 | ||
この年 | 茨城採炭㈱、千代田炭砿の第四斜坑と南中郷間の運炭の一部を馬トロからエンドレス巻に変更 | ||
この年 | 石炭鉱業連合会、送炭調節撤廃。のちに貯炭増となり15年から送炭制限再開 | ||
大正14年 | 1925 | 4下旬 | 入山採炭でジガー水洗機2台を新設し、運転を開始 |
4・ | 大日本炭砿、債務の引当に湯本砿・平砿を三井鉱山㈱に譲渡 | ||
4・ | 商工省設置。農商務省廃止 | ||
5・ | 茨城無煙炭砿㈱、中郷炭砿を買収して第四坑と称す | ||
7・ | 福島炭砿、第二坑・第六坑を採炭終了のため閉鎖 | ||
8・5 | 磐城炭砿㈱、茨城採炭㈱との合併契約を締結 | ||
10・3 | 全日本鉱夫総連合会、日本坑夫組合に改組 | ||
10・ | 常磐線上野・平間の複線が完成 | ||
この年 | 大日本炭砿勿来砿で長壁式採炭法の採用により採炭能率が増進 | ||
大正15年 | 1926 | 4下旬 | 入山採炭、売炭を大倉鉱業㈱石炭部へ委託 |
5・15 | 大倉鉱業㈱、茨城無煙炭砿㈱を買収して大倉無煙炭砿と称す | ||
8・2 | 磐城炭砿平火力発電所の労働者、賃上げを要求してストライキ | ||
8・22 | 日本鉱夫組合磐城炭砿支部が結成される | ||
9・11 | 磐城炭砿で磐炭会が設立される | ||
10・4 | 磐城炭砿の小野田炭砿労働者、坑内手当て復活・解雇組合員復職ほか四カ条を要求し争議。参加100名 | ||
10・31 | 入山採炭で立国労働自治会が設立される | ||
11・29 | 小田炭砿の労働者、賃上げ・解雇反対などを要求して5日間ストライキ。参加1,500名 | ||
12・25 | 磐城炭砿、健康保険組合規約を制定認可 | ||
12・ | 入山採炭、健康保険組合を設立認可 | ||
この年 | 三井鉱山課㈱の湯本炭砿でハンドコールドリル4台を使い機械掘を開始 | ||
この年 | 全国で労使間の紛争が多発 |