「いわき市史・別巻 常磐炭田史」より
明治30年 | 1897 | 1・ | 東本願寺、入山・白水両炭砿の子弟教育を目的に内郷村字川平に私塾智徳学館を設立。教師が不在となり 間もなく中絶 |
2・25 | 日本鉄道磐城線の水戸・平間が開通 | ||
2頃 | 入山採炭で天然痘・腸チブスが発生。24名の患者を出し一時休業状態 | ||
3・17 | 茨城炭砿㈱で第一坑の芳の目・磯原駅間の専用鉄道が許可される | ||
3・ | 入山軽便鉄道で高倉・藤棚間、5月に藤棚・綴駅間の運輸開始が許可される | ||
4・ | 三星炭砿㈱設立 | ||
6頃 | 磐城炭砿の石炭運搬人1、800名、山元から港までの鉄道敷設計画で失職を恐れストライキ | ||
7・ | 入山採炭で九州地方から募集の坑夫約50名が失踪 | ||
7・ | 白水炭砿でこう夫が病気を理由に休業多数 | ||
7頃 | 磐城炭砿の小野田炭砿坑夫ら、賃上げを要求してストライキ | ||
8・16 | 入山採炭で日本鉄道磐城線綴駅・高倉間の専用鉄道が認可される。10月に竣工 | ||
8頃 | 磐城炭砿の坑夫ら、物価騰貴を理由にストライキを計画 | ||
10・29 | 磐城炭砿の職工31名、賃上げを要求してストライキ | ||
この年 | 渋沢栄一・浅野総一郎・坂市太郎ら、藤原炭鉱会社を設立 | ||
この年 | 磐城炭砿㈱の内郷炭砿町田坑に友子交際所がつくられる | ||
明治31年 | 1898 | 1・ | 磐城炭砿、内郷炭砿で町田第一竪坑・内郷第一斜坑の開削に着手 |
10・5 | 磐城炭砿で日本鉄道磐城線綴駅・宮間の専用鉄道が認可される。翌年に運転開始 | ||
11・ | 古河鉱業下山田炭砿で発電機・汽鑵・電気巻上機を設置。日本初の炭鉱における電力使用 | ||
この年 | 三星炭砿、栃窪竪坑・広畑斜坑を開削 | ||
明治32年 | 1899 | 5・ | 東本願寺立智徳学館、僧の鈴木義教が入山説教所へ赴任したので再開される |
明治33年 | 1900 | 7・ | 郷誠之助、入山採炭の社長に就任 |
この年 | 三池炭砿万田坑、日本最深の900尺以上の竪坑開削に着手 | ||
明治34年 | 1901 | 1・16 | 手綱炭砿で日本鉄道磐城線高萩駅・上手綱間の専用鉄道が認可される。36年に運輸開始 |
6・2 | 東本願寺入山説教所と智徳学館の落成式が挙行される | ||
6・25 | 茨城炭砿㈱、茨城無煙炭砿㈱と改組 | ||
8・22 | 茨城採炭、山元・磯原駅間の馬車鉄道敷設願を県に申請 | ||
9・4 | 阿部吾市ら、茨城採炭㈱の設立総会を開催。相談役渋沢栄一 | ||
9・11 | 内郷村代用私立智徳尋常小学校、設立認可される | ||
明治35年 | 1902 | 1・ | 平炭砿(好間村)で鉱夫がストライキ |
3・ | 湯本温泉で初の上総堀による削井に着手 | ||
5・20 | 入山採炭、第三坑で第一竪坑の開削に着手。37年1月26日に着炭 | ||
この年 | 入山採炭、三星炭砿栃窪坑を買収 | ||
36年 | 1903 | 2・ | 白水炭砿、王城炭砿㈱に改組 |
3・31 | 入山採炭の機械職工数十人、ストライキを企て坑務所に乱入 | ||
4・3 | 入山採炭の職工・鉱夫、坑務所に乱入し、採炭部長を殴打 | ||
8・4 | 入山採炭の鉱夫百余名、所長宅に押寄せ破壊。巡査により鎮圧 | ||
11・ | 入山採炭、高倉坑で新坑を開削 | ||
この年 | 茨城無煙炭砿、芳の目地区に火力発電所を建設して発電開始。常磐炭田初の電力応用 | ||
明治37年 | 1904 | 2・10 | 日露戦争起こる |
2・ | 手綱炭砿、合資会社に改組 | ||
12・ | 好間炭砿、山元・平駅間に軽便馬車鉄道を敷設。41年5月に廃止 | ||
この年 | 磐城炭砿、内郷炭砿町田坑で坑内運搬にこの地域ではじめて馬を使用 | ||
この年 | 好間炭砿、採掘を開始 | ||
明治38年 | 1905 | 3・8 | 鉱業法工夫(7月1日施行)。従来の鉱業条例を廃止、同時に鉱夫労務扶助規則公布 |
3・21 | 古河鉱業会社設立 | ||
5・10 | 磐城炭砿で出水により内郷炭砿町田第一竪鉱が全坑水没。翌39年10月に復旧 | ||
5・ | 高萩炭砿(千沢平三郎)、中村嘉右衛門の北方坑と手綱坑を買収 | ||
9・ | 湯本温泉保全組合設立 | ||
11・ | 磐城炭砿、小野田炭砿梅ヶ平竪坑の開削に着手。40年上期に採炭を開始 | ||
明治39年 | 1906 | 3・31 | 鉄道国有法公布。日本鉄道海岸線は常磐線と改称 |
3・ | 高萩炭砿、採炭を再開。コルニッシュ式気鑵1台、複筒巻上汽機1台を新設 | ||
7・ | 好間炭砿、綴駅・北好間字籬間の専用鉄道敷設を申請。12月認可 | ||
7・ | 鉱業明細表に基づき、鉱業全般の統計表『本邦鉱業の趨勢』をはじめて刊行 | ||
8・ | 好間炭砿、第一斜坑の開削に着手。43年9月下旬に着炭 | ||
9・28 | 好間炭砿㈱設立。社長白井遠平 | ||
9・ | 赤井軌道㈱設立 | ||
この年 | 茨城無煙炭砿、花園川に120キロワットの水力発電所を建設 | ||
この年 | 茨城採炭㈱、重内炭砿第4坑にランカシャー気鑵2台、複筒巻上汽機1台を新設 | ||
明治40年 | 1907 | 3・2 | 勿来軌道㈱設立。42年3月に開業 |
3・13 | 入山採炭で常磐線湯本駅・日渡間の専用鉄道が認可される。6月に敷設 | ||
3・16 | 入山採炭、第4坑で第一竪坑の開削に着手。翌年12月12日に着炭 | ||
4・ | 好間炭砿、常磐線綴駅・北好間字籬間の専用鉄道を起工。翌年5月13日に完成 | ||
5・15 | 好間炭砿、工場と作業地域内電灯店かを目的とした電気工事の着手届を提出。六月30日に落成届 | ||
6・ | 入山採炭、第3坑の滑津竪坑口にキャペル式扇風機を設置し運転を開始。常磐炭田初の機械通風 | ||
7・25 | 常磐炭田の各炭鉱、雇用に関し同盟規約を締結 | ||
7・28 | 宇佐美炭砿の鉱夫40名、賃上要求でストライキ。要求がとおり鎮静 | ||
9・28 | 磐城炭砿の内郷炭砿第一斜坑で坑内火災。死者13名 | ||
9・ | 好間炭砿、第二斜坑の開削に着手 | ||
11・27 | 鉱山懇話会設立 | ||
この年 | 茨城無煙炭砿で斜坑巻上機に電力を使用 | ||
明治41年 | 1908 | 1・ | 山口嘉三、西明寺の阿部吾市の鉱区を買収。5月に山口炭砿を設立 |
2・10 | 入山採炭、坑務所・構内の電燈用として電気事業の許可申請書を提出 | ||
6・ | 三星炭砿、綴第一・第二竪坑の開削に着手。翌年7月に竣工 | ||
8・ | 磐城炭砿、小野田炭砿で長倉竪坑の開削に着手。44年下期に採炭を開始 | ||
9・12 | 手綱炭砿の内訌起こる | ||
10・31 | 磐城炭砿、内郷炭砿で火力発電による構内と坑内の電燈点火を目的とした電気事業の使用開始届を提出 | ||
11・11 | 磐城採炭多喜砿業所(上遠野村)の労働者、賃上げ・待遇改善を要求し暴動 | ||
この年 | 茨城無煙炭砿、第一坑山下竪坑を手堀で開削に着手。42年12月に着炭 | ||
明治42年 | 1909 | 1・ | 三星炭砿で竪坑開削にはじめて削岩機リトルジャップ式を使用。これを契機に常磐炭田で削岩機が普及 |
3・5 | 磐城採炭多喜砿業所の飯場頭5名、飯場全廃による損害賠償を要求 | ||
5・ | 三星炭砿、綴竪坑に諸機械の動力として鈴木式直立汽罐2台を増設し、煉瓦積煙突1基を構築 | ||
6・ | 山口炭砿、磯原駅に至る軌道を敷設 | ||
7・ | 手綱炭砿の鉱夫200名、3月からの未払賃金支給を要求 | ||
9・ | 秋山炭砿、高萩駅に至る軽便鉄道敷設を完成。馬匹で運搬 | ||
12・19 | 磐城炭砿、砿業特設電話施設工事の竣工届を逓信大臣へ提出 | ||
12・ | 半田鉱山、三鱗炭砿を買収し、半田茨城炭砿と改称 | ||
この年 | 磐城炭砿、内郷炭砿の発電所に発電機2台、原動力として50馬力汽機2台を設置し、電燈と電気機械試験用に使用 | ||
この年 | 浅野総一郎、磐城炭砿の取締役会長に就任 | ||
明治43年 | 1910 | 3・ | 入山採炭、第三・第四坑の動力・燈火用として高野川河畔に発電所を設け、200キロワット発電機などを新設 |
3・ | 山口嘉三、山口無煙炭砿合資会社を設立 | ||
11・ | 茨城無煙・茨城採炭・山口無煙の3社、茨城無煙炭共同販売所のカルテルを結成。大正7年に解散 | ||
12・ | 津川炭砿(好間村)、運搬設備改良のため一時休業していたが事業を再開 | ||
12・ | 清田房次郎、手綱炭砿を買収し、清田炭砿と改称。翌年9月に株式会社となる | ||
12・ | 入山採炭と磐城炭砿、湯本村とそれぞれ温泉救済基金給付の契約書を交わす | ||
この年 | 王城炭砿、下綱式エンドレスロープ機を設置 | ||
この年 | 神永喜八没 | ||
明治44年 | 1911 | 2頃 | 常磐の石炭業者、九州炭に比べ鉱産税が高いので軽減運動を展開 |
3・18 | 入山採炭、第三坑で新斜坑を起工。大正2年2月10日に着炭 | ||
3・29 | 工場法工夫。大正5年9月1日に施行 | ||
7・ | 勿来炭砿で新斜坑が着炭 | ||
8・ | 茨城無煙炭砿で石岡第一発電所が完成 | ||
8・ | 茨城無煙炭砿、第二坑(石岡)を開坑。45年1月から採炭を開始 | ||
8・ | 茨城無煙炭砿、第二坑の採炭にピッククイック電力截炭機1台を試用 | ||
9・ | 磐城炭砿、内郷炭砿町田竪坑運搬広畑本線にエンドレス(無極索道)を設置し運転を開始。結果良好 | ||
11・ | 磐城炭砿、小野田炭砿長倉竪坑外に配電所を建設し、坑内外・巻上室に電燈を使用 | ||
この年 | 茨城無煙炭砿、山下竪坑・磯原駅間の馬車鉄道を下綱式エンドレスに変更。車置坑・第二坑開坑。翌年に採炭を開始 | ||
明治45年 | 1912 | 1・13 | 津川炭砿、隅田川炭砿の所有となる |
5・23 | 入山採炭の雑夫70余名、米価引上げに反対して集会し会社と交渉。鉱夫が同調し全山休業状態 | ||
5・ | 三星炭砿㈱、勿来炭砿㈱を併合。窪田炭砿と称す | ||
6・27 | 三星炭砿の鉱夫、賃上げを要求して委員を選び会社と交渉 | ||
6・ | 磐城炭砿、小野田炭砿で第四竪坑を開坑 | ||
7・ | 三星炭砿、綴坑に横置型双気筒巻上機械1台、9月新竪坑口にチャンピオン式扇風機を設置し運転を開始 | ||
8・ | 友愛会結成 | ||
この年 | 古賀春一、休業中の半田茨城炭砿を買収し、磯原炭砿組合と改称 | ||
この年 | 茨城無煙炭砿、第二坑にクイックピック截炭機を一部営業的に使用 |