「いわき市史・別巻 常磐炭田史」より
明治15年 | 1882 | 1・ | 三井物産、小豆畑炭坑の石炭販売を引受ける |
2・ | 農商務省、地質課を改組し地質調査所を新設 | ||
3・18 | 渋沢栄一・大倉喜八郎ら、東京電灯会社設立を出願。16年2月に許可、19年に開業 | ||
3・ | 神永喜八ら、懲役人を坑夫として雇入れる | ||
6・7 | 東京府区部会、ガス局の売却処分を決定。18年に渋沢栄一・浅野総一郎らへ払下げ | ||
8・9 | 日本坑法第3章第9中に石炭坑の借区は1万坪以上に限ることを追加(太政官布告38号) | ||
11・ | 幌内炭砿で石炭輸送のため幌内・手宮間の90キロメートルが全線開通 | ||
12・ | 立憲改進党の沼間守一ら、磐城の各地を遊説し演説会を開催 | ||
この年 | 堀松之助・川来虎之助ら、合資組織の日本石炭商会(のち多賀商社と改む)を設立し、車置炭坑を採掘 | ||
明治16年 | 1883 | 3・12 | 浅野総一郎ら、小野田の鉱区3万坪の借区を許可される。18年2月に廃坑 |
4・16 | 浅野惣一郎、深川工作分極の廃止に伴いセメント工場を貸下げられ、翌年払下げを受ける | ||
5・5 | 三池炭砿で三池集治監(監獄)の囚人を使用し始める | ||
9・22 | 工部省鉱山局、官営鉱山払下げのため機構を縮小して鉱山局を廃止、総務局に鉱山課を設置 | ||
11・24 | 工部省、民行鉱山志料取調項目を各府県へ通達 | ||
明治17年 | 1884 | 2・ | 磐城炭砿社発起人、上湯長谷村炭山の営業目的確定のため東京に集会、工部省に実査官・測量技手の派遣要請を議決 |
3・12 | 工部省少技長足立太郎、磐城炭砿社の要請で磐城国版前郡上湯長谷村の石炭山を調査 | ||
4・ | 磐城炭砿社、工部省足立太郎の小野田炭砿実測図・調査復命書により、炭量174万余トンを確認し、創業を決議 | ||
7・5 | 工部省、佐渡・生野・三池・阿仁の4鉱山を除き、他は民業とすることを太政官より命じられる | ||
8・ | 磐城炭砿社株主集会、定款と株主総代3名、創業着手の順序、鉄道開削工事監督を東京鹿島組に委嘱などを決定 | ||
10・11 | 福島県、磐城炭砿社の設立を許可 | ||
11・15 | 磐城炭砿社の浅野総一郎と遠藤致、上湯長谷村小野田字力石の石炭場借区を許可される | ||
12・ | 磐城炭砿社、小野田炭砿で横坑の開削に着手 | ||
明治18年 | 1885 | 1・28 | 日本鉱業会創立 |
4・10 | 磐城炭砿社、小野田炭砿・小名浜間の鉄道敷設を出願。20年5月に開通 | ||
6・1 | 加納作平、白水村不動沢坑区を大平左司馬に譲渡。大平は20年9月に水野忠次へ譲渡 | ||
6・ | 磐城炭砿社磐城炭砿社、探鉱のための小竪坑掘削にはじめて外国製ウインチ巻を使用。常磐炭田初の洋式機械導入 | ||
12・22 | 内閣制度確立。機構改革により工部省を廃止、鉱山・工作関係は農商務省官房鉱山課の所管となる | ||
12・ | 筑豊坑業組合創立 | ||
この年 | 海軍省、華川村小豆畑車置に竪坑を試掘 | ||
この年 | 石炭供給過剰で炭価暴落 | ||
この年 | 貨幣整理による不況(松方デフレ) | ||
明治19年 | 1886 | 2・ | 農商務省に鉱山局設置 |
この年 | 豊国炭砿でコルニッシュ汽罐採用。以後各坑に蒸気機関が採用される | ||
明治21年 | 1888 | 12・5 | 大越佐助、内郷村白水立石下坑区を雨倉禄助・平沼弁蔵らに譲渡 |
明治22年 | 1889 | 6・ | 磐城炭砿社、小野田炭砿で汽罐2台・排水ポンプ・蒸気巻上機を据付け、斜坑開削に着手。常磐炭田初の蒸気力導入 |
7・23 | 白井遠平・渋沢栄一・浅野総一郎ら、平・水戸間の鉄道敷設を目的に常磐炭砿鉄道期成同盟会を結成 | ||
10・ | 日立興業会社、多賀郡山部村で石炭採掘 | ||
この年 | 磐城炭砿社、小野田炭砿でサリバン金剛錐と上総堀で試錐を実施 | ||
この年 | 北海道炭砿鉄道会社、のちの北海道炭砿汽船(㈱)が設立される | ||
明治23年 | 1890 | 2・ | 白井遠平らの平・水戸間鉄道敷設願、井上勝鉄道局長官によって制止される |
3・20 | 大津淳一郎、松原町高萩・松岡村上手綱において石炭の試掘を出願 | ||
9・26 | 鉱業条例が交付され、日本坑法は廃止となる | ||
この年 | 桑田知明、高萩の北方・黒前村山部の鉱区を取得 | ||
この年 | 足尾銅山で日本最初の間藤水力発電所が完成し、鉱山の動力にはじめて電力を使用 | ||
明治24年 | 1891 | 4・1 | 高崎五六、内郷村と箕輪村に借区を取得 |
12・13 | 白井遠平、「常磐鉄道の急務を論ず」を「朝野新聞」紙上に発表 | ||
明治25年 | 1892 | 3・16 | 農商務省、鉱業警察規則・鉱業条例施行細則を公布し、鉱山災害報告を法的に義務づける |
6・1 | 鉱業条例施行。東京・秋田・大阪・広島・福岡・札幌に鉱山監督署を、金沢・鹿児島に同支署を設置 | ||
11・ | 常磐鉄道期成同盟会、趣意書を発表し、帝国議会に請願 | ||
この年 | 松本敬吾と大河内八十路、松岡村上手綱で採炭を開始。28年に手綱炭砿㈱の経営となる | ||
この年 | 農商務省地質調査所、全国758ヶ所の炭質を評価。常磐炭田では60ヶ所がふくまれる | ||
明治26年 | 1893 | 1・19 | 津川良造ら、内郷村の一部と上好間字大畑の坑区を買収。大畑に横坑を開き津川炭砿を設立 |
2・ | 竹内綱ら、白水炭砿㈱を設立 | ||
6・28 | 岡田平太、内郷村白水に借区を許可される。30年9月に岡田炭砿を設立 | ||
6・ | 磐城炭砿社、技師斎藤精一氏を招き、27年7月に小野田竪坑を開削。常磐炭田初の竪坑開坑 | ||
7・ | 坂市太郎、常磐炭量調査のとき北中郷村(後の重内坑)の河中に露頭を発見 | ||
11・24 | 磐城炭砿社、商法の施行により磐城炭砿㈱と改称。12月1日に定款改正を農商務大臣へ出願、12月15日許可 | ||
明治27年 | 1894 | 4・23 | 桑田知明、内郷村白水字川平・入山・高倉、箕輪村高野の石炭採掘願を提出。六月25日に許可 |
6・1 | 白水軽便鉄道(合資会社、社長白井遠平)、工事着手 | ||
6・25 | 入山炭砿、内郷村などに借区を受ける | ||
7・26 | 磐城炭砿㈱、小野田炭砿で竪坑の開削に着手。28年5月24日に着炭 | ||
7・ | 加藤初太郎と坂部貞次郎、松岡村上手綱に手綱炭砿㈱を設立 | ||
8・1 | 日清戦争が起こり石炭の需要が増大する | ||
11・ | 磐城炭砿、渋沢栄一・浅野総一郎個人名義の借区許可証(内郷・好間・岩崎村)を譲り受ける | ||
11・ | 政府、水戸駅から磐城平を経て岩沼に至る鉄道敷設を日本鉄道会社に免許 | ||
この年 | 入山炭砿、事業着手のための坑夫募集が日清戦争のため進まず、飯場制を案出し飯場六、坑夫200余名で採掘に着手 | ||
この年 | 磐城炭砿、日本鉄道磐城線の開通にそなえて内郷炭砿を買収 | ||
明治28年 | 1895 | 1・ | 入山炭砿、川平坑で竪坑の開削に着手、30年11月に着炭。入山八尺炭として名声を得る |
1・ | 磐城炭砿、鉱業用機械類製造修繕を目的に湯本工場を設立 | ||
3・ | 入山炭砿、高倉坑で横坑の開削に着手。10月に着炭 | ||
4・5 | 磐城炭砿、日本海陸保険㈱とせ忌憚・諸貨物に対する海上保険を契約 | ||
4・20 | 入山採炭㈱、設立申請。5月20日に農商務省指令第5111号をもって会社設立が許可される | ||
5・ | 入山採炭㈱、高倉坑で竪坑の開削に着手。12月に着炭 | ||
6・5 | 山口嘉三、白水広畑に、9月には入山に約3万坪の鉱区を設定 | ||
10・ | 磐城炭砿、小野田炭砿竪坑内各坑道の開削と坑内軌道の敷設に着手 | ||
明治29年 | 1896 | 1・ | 白水炭砿、川平に横坑と二つの斜坑を開削採炭 |
1・ | 桑田知明、松原町秋山に秋山炭砿を開く | ||
2・15 | 白井遠平、磐城炭砿の監査役を辞任 | ||
2・ | 白水軽便鉄道、入山採炭へ売却される | ||
4・17 | 磐城炭砿で小野田採炭事務所・湯本村本社・小名浜町石炭取扱所間の電話線架設が許可される | ||
4・23 | 磐城炭砿、従来の小野田・小名浜間の馬車鉄道を汽車に変更することを出願 | ||
4・ | 磐城炭砿、小野田炭砿で小野田竪坑の採炭を開始 | ||
5・10 | 竹内綱、茨城採炭㈱を設立 | ||
6・5 | 磐城炭砿で日本鉄道版城線・小野田間の専用鉄道が認可される。12月に完成 | ||
6・15 | 磐城炭鉱、小野田炭砿砿業所へ巡査配属の請願書を県知事に提出 | ||
7・ | 白井遠平、入山採炭の社長となる | ||
12・16 | 三井物産㈱、白水炭砿と石炭販売について三ヶ年の約定を結ぶ | ||
この年 | 山口嘉三、山口炭砿を設立 |