遠く風花の舞う正月4日、若い日本美術会会員の6人が 胸躍らせて訪ねた古河好間炭坑。その頃すでに先輩がたは 各地の炭坑を訪れ作品発表もされ、カメラや報道の取材も活発でした。時代の矛盾を正面に迎えた炭坑の濃い社会性が 私たち美術家の関心を育てます。戦後の厳しい混乱からようやく抜け、新しい価値観を求め、視野を広げ展開したいという 表現意欲も高かったのです。海外でのネオ・レアリズムの動きとも呼応した、貧しくても意気にあふれた時期でした。
炭坑は心広く迎えて下さいました。組合の保安生産部長・教宣部長のご案内で キャップライトのヘルメットに作業服・脚半・地下足袋の身支度です。導かれるままにエレベーターで、地下の凄い強送風にあおられつつ、地下800mの坑道に降り立った時の感覚は それまでの心のサイズを大きく揺さぶり変えるものでした。冬の晴天の背に視野いっぱいの構築ーーー第2縦坑と選炭櫓の規模は生産のシンボルとして 虚構のかけらも無い 人間の意志の暖かさを 分厚く含んで美しい存在でした。花鳥風月の垣を越えた新しい感動です。作業現場の厳しさと自身への集中を考え 主に戸外をたどりました。僅か2日の滞在です。息をつめて立尽して描きました。軽いスケッチでは気持が納得せず、時間をかけたデッサンになりました。炭坑に生きる人びとの姿が重なり私の内面の密度を求めます。ズリ山は逆光に映えて黒さの陰影は複雑です。
その後2年近くかけて油絵作品2点とし、銀座での初個展に発表しました。幸い評価も頂き、現在も描き続けていますが 時に迷いながらも、あの時に受けた感動の質は貴重で 決して風化させてはならない表現の支えとしています。
2004年1月26日 伊藤和子
略歴
1927 東京世田谷に生まれる 1946 女子美術洋画部3年修了
1948 第2回日本アンデパンダン展出品、日本美術会会員
1958 1月4~5日 古河好間炭坑へ写生旅行・入坑
1959 世界青年学生平和友好祭(ウイーン)へ「少年達」を出品、絵画部門銅賞授賞
第1回個展・銀座櫟画廊・11月・油絵作品「第2縦坑と選炭櫓」(80F)「ボタ山への道」(50F)を出品する
1960 櫟画廊選抜展 自由美術協会新会員
1964 日本現実派・結成参加
版画交流展(ルーマニア)に日本美術会代表として招聘参加
1969 日本現実派解散
1978 自由美術展平和賞受賞
1079 文化庁・現代美術選抜展
1987 日本美術会退会
1998 個展「敗戦からの出発」に第2縦坑と選炭櫓・ボタ山への道の油絵・デッサンを出品 企画・銀座・アートギャラリー環
1999 東京展(都美術館)の特別企画展・ロシア現代画家2人展(作品30点)を企画推進し実現する
2000 世田谷美術展・世田谷美術館主催に出品 以後連続出品
2003 ベルリンにて個展・11月14日~12月13日
この間に個展23回・企画展・グループ展で発表
2004年1月現在 自由美術協会会員、日本美術会会員 世田谷区に在住
第2縦坑と選炭櫓 | 1959 | 油彩 | キャンバス | 80F |
ボタ山への道 | 1959 | 油彩 | キャンバス | 50F |
縦坑入口 | 1958,1,4 | コンテ・チョーク・水彩 | 紙 | 54.8*38.3 |
ボタ山への道 | 1958,1,4 | コンテ・チョーク | 紙 | 37.3*54.5 |
第2縦坑と選炭櫓 | 1958,1,4 | 鉛筆・水彩 | 紙 | 37.4*54.5 |
ボタ山近く | 1958,1,4 | コンテ・チョーク・水彩 | 紙 | 38.5*54.5 |
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