思い出(徒然なるままに)

                   寺本 格

 常磐炭砿時代の思い出といえば、公私混同になるが思い出したきこと、忘れたきこと、多々あり、どれから手をつけてよいか判らない。小生の入社の頃は所謂ヘルメットと称するものなどなく厚手の布製の坑内帽にキャップランプをつけてフンドシ姿で酷暑の環境の中で働いている労働者諸氏の姿が目にやきついている。 

 危険と隣り合せで、しかもときには危険と仲良くして暮らしてきたので必然的に横のつながりができ、強い絆で結ばれる人間集団というか特殊社会を構成せざるを得ない。(集団社宅生活と相まって)

 ヤマとわかれて早いものでつい昨日のように思はれるがトシと共に忘却の彼方にうすれてゆく。トシをとると 1年が年齢の逆数に感ずるといわれるが

 (ex)50歳なら1/50、70歳なら1/70

小生もいつのまにやら平均寿命に達しました。

 楽しかったことと言えば、炭砿衰退以前に会社は野球チームをもち、全国都市対抗野球の応援に後楽園にいったこと。佐渡ヶ島に旅行にいったこと位かな。

 とにかく会社は保安第一で保安週間になると社宅の子供までもまはらぬ口で「ホアンダイイチ」としゃべっていたのを思い出す。

 3交代の御主人と隣り合せの家庭では、昼間お隣の御主人が寝ているので、小さな子供を外で遊ばせていたけなげな御夫人もいた。

 さて私事で恐縮ですが、小生入社後機械・電気に関係し、通気・排水・運搬(鉱山の3要素という)、浄水、水道etcの計画・保守に従事した。よく真夜中に電話呼出しがあり、少々ウンザリしたおぼえがある。(体力的・精神的)

 常磐炭砿で導入した新しい技術は

1、   坑内冷房(防爆式)

2、   C,B,C(長距離ケーブルベルトコンベヤー)

3、   大容量揚水設備(2,2000馬力)

以上 多かれ少なかれ手を出し貢献したつもりです。

 技術的細部については当時の技術雑誌(下記)に記載する。

  「炭鉱新技術」

  「東部炭砿技術」

  「常磐技報」

  また社命により夜行3等寝台車にゆられて九州は大牟田市までゆき、当市で開催の全国炭砿技術大会に出席し、約1時間程しゃべったことを思い出す。

 帰りがけ三井砿山三池三川砿に入坑見学した。

                2004120 入力     

(略歴)

大正14、9、8 生れ 茨城県出身
        (旧制)東北大学工学部電気工学科卒
昭和27,4   入社
昭和46、4   閉山
 閉山時 機電課長 (兼)常磐興産電機工事且謦役
昭和46、6   離山
その後 千葉方面にて    バス関係の開発・設計・利用・応用に従事する