炭鉱あれこれ

                               中田信夫

  目次

一、   坑内を制する棹取り

二、   天下御免の酒

三、   出炭高にもいろいろある

四、   有難い通産省ヒアリング

五、   お国柄で違う坑内事情

 

一、   坑内を制する棹取り

炭鉱とは一口で云うと運送業であり、地下にある石炭をその侭お天道様の下迄運ぶのを生業とする。運送業であれば運ぶ入れ物が必要で、それが炭車(ハコ)である。
 土方殺すに刃物は要らぬ、雨の三日も降ればいい、
と云はれるが

 坑夫殺すに刃物は要らぬ、ハコの三日も来なきゃいい、
となる。

 坑夫の腕もハコが来ないことには発揮出来ないどころか、飯の喰い上げである。このハコを坑内の各方部に配車する者を運搬係の「棹(サオ)取り」と呼ぶ。生活のかかっているハコを奪い合うのは後山の仕事であるが、何と云っても棹取りの裁量一つで首の根っ子が抑えられてしまう。空車(カラバコ)をロープに吊して颯爽と坑内に下り、飛鳥の様に飛び乗り飛び降りる棹取りは大江戸火消し衆を思はせ粋で格好いい存在であった。
「ハコの廻りが悪くて」と出炭減の理由を云って来たし、聞かされても来た。ハコ廻りが採炭係の弁解にしばしば登場したものだ。まさに棹取りは坑内を制する者だった。
 炭労ではよく運搬ストを打って出て、最少の犠牲で最大の効果を狙ったが、会社側は非組合員の職制が棹取りをやって対抗した。
 出炭減の原因ともなったハコ廻りの問題を解決する為にコンベアーシステムが採用されたのは、当所では昭和三十年代後半になってからであった。

 

二、天下御免の酒

 ヤマのくらしに酒は欠かせないが天下御免の酒と云えば、二上(あが)り酒、間(けん)取り酒、正月酒で伝統的風習の一つとなっていた。

(一)           二上り酒

 三交代勤務をしていると一番方は朝が早いし三番方は眠い。午後二時に入坑して十時に上って来る二番方が時間的にも肉体的にも最も余裕がある。そこで二番方になると出坑してから皆で一杯やるのを二上り酒と呼んだ。先山や係員の家に集る時もあれば係員同士の時もあったが茶碗酒とスルメ程度のささやかなものではあった。それでも人の寝静まった真夜中に仲間達と語り合う一時は、気心を通じ合うにはこれ以上のものはなかった。

(二)           間取り酒

 昔は坑道の掘進長を測るのに間・尺が使はれていたことから月毎の掘進長で鉱員の賃金を割り出す作業を間取りと云った。間取りは現場の古参主務者(主任)が行うが月一回の間取りが終ってからの御苦労酒が間取り酒である。事務所の女手による料理はなかなかに豪勢なもので鍋料理が中心だった。都会の会社なら一杯やった帰り道に赤提灯が待っているが、何せ事務所と社宅が目と鼻にある炭住生活では街に出るのも稀で、大人しく帰って行った様だ。

(三)           正月酒

 元旦の朝、山神社の社前に集り祈願祭を行い御神酒を戴くと、参列者全員がまず砿長宅に年賀に参上しそこで大酒盛りが始まる。更にそれぞれの上司の処に廻り、ここでも一騒ぎして三々五々と散って行く。この新年挨拶廻りは正月二日迄とし三日は家族の人達を休ませる為に厳しく禁じられ、しっかりと守られていた。砿長宅には会社から前以て酒が届けられ、砿長一人では盃を受けきれず屈強の若者達が助太刀に召集されたものだ。
 たまたま砿長宅への道筋に私の家があり、上り下りのお客様が立ち寄られて一日中追いまくられた年もあった。
 然し三十年を過ぎ合理化の風が吹く頃になると虚礼廃止が叫ばれる様になって正月の酒盛りは見られなくなってしまった。

 

三、   出炭高にもいろいろある

月々の出炭高を決めるのにいろいろな決め方あるとは奇妙な話だが、順序を追って説明すると

(一)監量出炭

 坑外に搬出された石炭は監量係の手で検収されるが、その際石炭の中に混入したボタの量と満載に達しない空隙の割合いを見て炭車の中の正味石炭の量が決められる。(これをボタ引き、空(くう)引きと云う) この屯数が賃金支払いの元になり、各砿の出炭実績となるのだが一日数百台を受け入れるので担当者の経験とカンで歩引きが決まり処理される。

(二)格内出炭

 監量係で検収された石炭は選炭場に送られて精選され、カロリーや灰分の規格を満たした合格炭(格内炭)が販売用炭となり、それが市場での常磐の出炭高になる。

(三) 格外出炭

選炭の際に出て来る規格から外れた粗悪炭を格外炭といい、自家発電や自家消費に廻される。然しこれとても市況によっては立派な販売用炭となり、黒い物なら何でも売れた朝鮮動乱需要期には格外炭までもが引張りだこだった。

 現場サイドで云う出炭高とは監量出炭であり、営業では格内出炭が、経理面で格内外出炭が当社の出炭高である。この様に一口に出炭高と云っても立場によって違っていた。

 そして誠に不思議に見えるのが選炭場の万石から貨車に石炭を積み込む風景である。万石の蓋を明けザザーッと一気に流し込み平に均らしてその侭送り出す光景で、総ての貨車が重量秤の上を通るわけでもない。この風景は小名浜港のサンマ水揚げ風景に重なる。クレーンで獲物を吊り上げトラックの荷台に次々と流し込んで運び出されて行くがトラックからはサンマがこぼれ落ちている。石炭もサンマも生産高を云うのに屯未満は切捨てられる。工場製品と違って膨大なマス商品を扱うのだから仕方ないとして、ヤマの気質とハマの気質がこれ等の風景から窺い知られる様な気がする。

 

三、   有難い通産省ヒアリング

昭和三十七年度政府調査団によってビルドかスクラップか格付けされて以降、ビルド炭鉱は毎年通産省によるヒアリングが行われた。事前に一冊のヒアリング用紙が送られて来てこれに基いて審査されて、お墨付きが得られれば開発銀行・興業銀行の現地調査があって融資が決まる。この用紙では技術面からコスト販売まで細く説明を求めていて全社挙げての大仕事だったが特に技術面での投資効果と将来計画には厳しかった。当社は温泉湧出地帯で採炭するので他の炭鉱にない特殊工法を必要とする処から、こちらの主張や希望が通り易かった。そして年を重ねる毎に要領が判って来て必要にして十分な資料が用意され、説明に当っては大より小に至る迄主旨一貫して矛盾のないことと上下左右裏表迄数字が符合することが何よりも大事なことで、食い違いを指摘されるのが一番不信の元になる様であった。かくして書類が整備されヒヤリングをパスすればその年の金繰り心配なしとは戦後の不況を自力で克服した繊維産業などから見れば、いかに国策会社とは言え殿様商売としか思えなかったであろう。そしてこの借入金は元利共国が肩代りし、おまけに閉山時には炭鉱買い上げの形をとって閉山交付金という葬式代まで支給された。今で云う公的資金の導入だが世論は黙って見送ってくれた。有難いことであった。

 

四、   お国柄で違う坑内事情

 アメリカの炭鉱の保安とは事故災害が増えるとそれ丈保険会社に収める保険料が上るのでそれを防ぐ為のものだと聞かされた。そのアメリカが戦後の日本の炭鉱を理想的なものに改革すると云うことで、救急法の実技指導ならまだ良いとして、TWIとかMTPなど頭文字を並べた色々な手法を持ってやって来た。その中に仕事の教え方を指導する講習会があり常磐・好間・大日本等の主な炭鉱から二十名程が参加した。内容は何と云うこともない新入社員に仕事を覚えさせるには、まず言って聞かせて、次にやって見せて、最後にやらせてみる、と云う丈のことだが問題は教える要領にあった。テキストが渡されその中には二時間毎に区切られた教程が組まれていて、開講一番
 君達は一教程を二時間プラスマイナス五分以内で教え終らなければいけない。
 教え始まって〇〇分後にはテキストの〇〇頁を開いていなければならない。
と言われた。誰が教えようと、相手が誰であらうとお構いなく終始テキストとおりで一言一句も勝手に変えてはならないのだ。肌の色も違い教育レベルもバラバラのアメリカではそうであっても日本では古来「人を見て法を説け」と云はれ、ミソもクソも一緒にするのは日本では軍隊丈だと反撥して結局身につかずに終ってしまった。日本では安全確保の為に皆で智慧を出し合って創意工夫・改善提案などの運動が活発なのにアメリカではそれをするのは高給取りの専門家の仕事で、一般労働者は決められたことを一所懸命守る丈で勝手なことをされては困るとされていることも、こんな経験から理解出来る。
 ここで当時の我が国を振り返ると国鉄労組はよく順法斗争を行ったが、斗争が始まるとダイヤが乱れ混乱した。では日頃ダイヤ通りに運転しているのは法を守っていないからか、不思議な話であった。一方、炭鉱では炭車と坑道の壁の間隔が片や三〇糎、反対側では七〇糎以上と規則で決められていて、これが三〇が二九に、七〇が六九になればアメリカ流では則炭車運行停止となる。
 だが大手を振って歩いた坑道が半月後には這って行く様になるのも珍しくない日本では、三〇と七〇を目標に坑道補修をしながら仕事を進めていた。国鉄にしろ、炭鉱にしろこんな曖昧さが今日の先送りとか玉虫色決着に通じるのか。
 それではヨーロッパはどうなのか。昭和四五年の話だがドイツの立坑人車に乗って驚いたのはガタガタ揺れて壁に擦れる音がうるさくて、とても人が乗る代物とは云えず資材を運ぶ篭に等しかった。又使用済みの古坑道の入口には一本のロープが張られ、それに危険と書いた札が一枚吊り下っている丈だった。これ等は日本の監督官からすれば総てがアウトで、ビルのエレベーターと迄はいかなくともガイドローラー位は付けさせるだらうし、坑道には〇〇につき立入禁止の札を立て、堅固な禁柵を命じる筈だ。更に驚いたのはイギリスの有名な炭鉱で坑内で馬が働いていた。日本では想像もつかないことだが炭車を運ぶのにはこれで十分だからと云う。一方ではこれ等の炭鉱は何れも一線の切羽には近代的な機械が導入され最先端の技術を駆使していて、要するに新旧をうまく使い分け飽く迄も実利主義に徹しているのがよく判った。
 見たわけではないが資料によるとソ聯の炭鉱にも特徴がある。柔よく剛を制すが我が国やヨーロッパの炭鉱のスタンスで、強大な地圧の力には勝てない処から地圧を利用した採炭法や地圧を和らげる枠入れ法等を考え出している。ソ聯は剛を以て剛を制すで膨大な物量を投入し自然の力と四つに組み刎ね返すやり方である。鉄の塊りで重装備した感じがする。そして超高圧水で石炭を破砕する水力採炭を手がけたのもソ聯の炭鉱だった。

 こうしてみるとお国柄、民族性で坑内事情もいろいろと変るものだ。

               2004,1,15 入力